異例ずくめの東京オリンピック(五輪)・パラリンピックが幕を閉じた。8月5日、東京都の新型コロナウイルス新規感染者は初めて5000人を超えた。それでも緊急事態宣言下の街にはどこか楽観的な空気が流れた。なりふり構わぬ招致活動で東京開催をセッティングした安倍晋三前首相、言葉足らずの菅義偉首相はこの1年で次々と政権を投げ出し、リーダーの使命があらためて問われた。誰のため、何のための大会だったのか-。パンデミック下の“祭典”を識者に検証してもらう。

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コロナ禍での五輪とパラリンピック。開催国の日本は大きな宿題をもらった。メダルが取れた、感動したで終わらせず、持続可能なオリパラを考えるためにも、さまざまな角度からの検証が必要です。例えば、東北の復興には寄与したのか、コンパクトだったか、無観客でも盛り上がったのなら、そもそも大きな施設は必要か、など。

いまさらですが、この時期の開催は残念でした。もう少し延期できれば、もっとみんなが楽しめた。選手たちには完全な形でやらせたかったし、国の活力にも貢献できたと思う。現在の感染状況を考えると、政府や東京都は国民の「安心安全」を担保できたとはいえない。外国選手が大会をアメージングと称賛する一方で、日本人は入院もできず自宅療養中に亡くなっているというギャップは異様だ。

何をするにも、決まったから引き返せない、立ち止まれないという思考は危険です。飛行機も山登りも、天候が悪かったら引き返します。判断にはデータや専門家の意見を重視する。日本はいまだにエビデンスやデータで判断せず、「行けそう」という根拠のない空気に支配されがちです。今回も専門家の提言などを尊重しませんでした。だからコロナ対策も信用されないのでしょう。今、スポーツはデータ主義。空気では勝てない。なんとかなるという楽観論で試合に臨むのは、弱小チームのマインドです。

竸技大会としても不完全でした。予想された酷暑に加えて、コロナで予選が大幅にずれ込んだり、対外試合を組めず、ぶっつけ本番で臨んだチームも多かった。残念ながら、コロナ禍の開催は、最高の準備ができず、最高のパフォーマンスを出せる大会ではなかった。コロナはコントロール不能だが、毎回の課題である暑さについては、アスリートの健康や安全の観点から開催時期を再考せざるを得ない段階にきている。

1964年の五輪では、国を背負う名誉、我慢と根性こそが美徳という文化がつくられました。でもスポーツは本来、楽しむもの。国や組織、メダル以前に、好き、楽しい、ということが根底にあるべきです。それをスケートボードの選手たちはみせてくれました。まず自分を大事にし、幸せなことが、他を尊重できる多様性にもつながる。米国の体操女子のバイルズ選手が、心の健康を理由に棄権しました。もし日本選手だったら、どんな報道や反応になったでしょうか。全体のための個ではなく、個のウェルビーイング(幸福)が優先される社会になっていかねばなりません。

今や環境問題にしろ、いろんなことが、日本だけ頑張ってどうなることじゃない。多くのことを地球規模で考え、解決策を模索していく時代です。そんな時代だからこそ、地球文化と言われるスポーツや五輪が新たな価値を示せるかもしれない。だからこそ今後、よりチャレンジングなものにしていかなければ。先進国、大都市でしか開催できない五輪でいいのか。五輪とパラリンピックが1つの大会になる可能性はあるのか。五輪がみんなを考えさせ、変えていくものになれるかどうかが問われている。(聞き手=久保勇人)

◆山口香(やまぐち・かおり)1964年(昭39)東京都生まれ。小学1年から柔道を始め、88年ソウル五輪で銅メダルを獲得。89年に現役引退し、後進を指導。現在、筑波大教授。ほかに東京都教育委員など。6月まで日本オリンピック委員会(JOC)理事も務めた。

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